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本日、鶴子(つるし)銀山と佐渡金山のルーツを訪ねて「歴史に埋もれた古道を歩く」に参加させていただきました◎

2022年11月5日 / Hiroshi Murooka / ブログ, 佐渡ヶ島(SDGs)集落ツーリズム

本日、鶴子(つるし)銀山と佐渡金山のルーツを訪ねて「歴史に埋もれた古道を歩く」に参加させていただきました◎
秋晴れの空の下、ガイドの方にご説明をいただきながら、佐渡金銀山の古道を歩きました。おかげさまで、鶴子銀山跡から上相川周辺まで、歴史ロマンに浸る半日となりました!
【鶴子代官所跡~百枚間歩跡~笠取峠~茶屋平~大山祇神社跡~上相川~金山第3駐車場】
①西三川砂金山⇒平安時代からという説も
②鶴子銀山⇒室町時代から
③相川金山⇒安土桃山時代から
という鉱山歴史の流れがあります。
すなわち、西三川砂金山が見つからなければ鶴子銀山は見つからなかったかもしれない。鶴子銀山が見つからなければ相川金山は見つからなかったかもしれない、ということです。
本日の鶴子から上相川への道は、まさに金山発見への道であることから、このルートを歩くのが夢の一つでしたが、念願叶って感無量です!
相川鶴子金銀山と西三川砂金山という2つの構成資産として、「佐渡島(さど)の金山」は世界文化遺産登録を目指しております。そして最短では、2024年頃に新潟県初の世界遺産登録が期待されております。ただし、現在の世界遺産委員会の議長国がロシアであるため、先行きが見通せないのが切ないところであります。。涙
まずは、皆さんに佐渡金銀山の魅力を知っていただくことから世界遺産登録への道は始まると思います!引き続きご理解、ご協力の程よろしくお願い申し上げますm(_ _)m
道遊の割戸(どうゆうのわりと)の側面をバックに、皆さんで記念撮影という流れでめでたく12時半の終了となりました。
ガイドの皆さん、スタッフの皆さん、参加者の皆さん、貴重な機会をありがとうございました!
【※以下備忘録メモです!】
下記元年の西暦は押さえておくと便利ですね。
1603年⇒慶長8年=江戸時代の元年
1868年⇒明治元年
1912年⇒大正元年
1926年⇒昭和元年
1989年⇒平成元年
2019年⇒令和元年
2024年⇒佐渡を世界遺産に!!!
・鶴子銀山は、佐和田の沢根・五十里地区にあり、天文11(1542)年に越後の商人、外山茂右衛門によって発見された。
・戦国時代末から江戸時代初期に最盛期を迎え、1751~1764年頃の宝暦年間からは銅山として銅の採掘が行われたが、昭和21(1946)年に閉山となった。
・天正17(1589)年に上杉景勝が佐渡を平定し、文禄4(1595)年に秀吉から越後・佐渡の金銀山の支配を任せられた。
・平安時代からの西三川砂金山、安土桃山時代からの鶴子銀山より相川金山へと金銀山の技術が活用された。
・佐渡代官の大久保長安は、慶長9(1604)年に鶴子にあった陣屋を相川へ移転、相川の街並みを整備したことで、金銀山の中心地は江戸時代から相川へと移った。
・110の間歩(鉱山の坑道)と500以上の露頭堀り(露天掘り)が残る。
・銀と銅が産出され、付近にはケイ素を多く含む白い石が見られる。
・『山勘』『山を張る』とは山師が鉱脈のありそうな山を予想して、そこへ採掘資金をつぎ込むことが原義である。
・代官屋敷跡など人工的に平らにした平坦地部分は13枚もある。
・1603年に大久保長安が鶴子にあった代官屋敷を相川へ移転した。
・以降、佐渡奉行所は5回の火事に見舞われ、幕末の頃に消失した。現在の佐渡奉行所は、図面や写真を元に復元したもの。
・無宿人とは、江戸時代の戸籍のない人々で、罪人ではない。今でいう緊急雇用や経済対策として、佐渡へと連れて来られたとも言える。※労働の対価を払われており、強制労働ではない。